自己受容は、「心の器づくり」を進める上でも大切になります。
自己受容がすすむと心の器づくりもすすみますし、心の器づくりがすすむと自己受容もさらにできるようになっていくという関係にあります。
自己受容と自己肯定
似たような言葉に“自己肯定”というのがありますが、自己受容と自己肯定は違います。
自己受容とは
自己受容とは、ありのままの自分を受け入れることです。
ありのままの自分の感情を受け入れると、言うとわかりやすいかもしれませんね。
良い自分も悪い自分も、かっこいい自分もかっこ悪い自分も、良い時も悪い時もあって良いと思えることです。
自分を好きになることとも違います。
自分を嫌いなら、「自分は自分を嫌いなんだよな」とそのことを受け入れることです。
野口嘉則さんもご著書の中でこのようにおっしゃています。
自分に対して良い悪いといった判断をくだすことをしない。肯定も否定もしない。そっくりそのままの自分を受け入れること、これが自己受容です。
『自分を好きになれない君へ』野口嘉則
自己肯定とは
自分の良いところを一生懸命見つけて「だから自分は素晴らしい」と肯定しようとするとするのが自己肯定です。
『自分を好きになれない君へ』野口嘉則
逆を言うと、頑張っていたり、良いところがない自分は受け入れられないということになります。
自己受容と自己肯定感の関係
自己受容ができると、人は自己肯定感が高まります。
自己肯定感とは、どのような自分にも価値があるという、無条件に自分を受け入れる感覚です。
『自分を好きにならない君へ』野口嘉則
先に述べた“自己肯定”と“自己肯定感”は別のものです。
自己肯定感は自己受容によって育まれるという関係にあります。
自己受容が進むにつれ、「このままの自分で良いんだ」とか、「自分てこうだよな」と思えるようになります。
つまり、無理して良いとこ探しをする必要がなくなるのです。
人に対してもよく見せようと頑張らなくて良いので、そういう意味でも自己受容がすすむと今までより楽になるのではないでしょうか。
だからといって、努力したり、もっと良くなろうと頑張ることをやめるとか、しなくて良いということではありません。
向上心や目標を持って頑張ることは素晴らしいことだと思います。
頑張れるなら頑張ればいいのです。
ただ、いつも上手くいくわけではありませんよね。
時には壁にぶつかったり、挫折感や屈辱感を味わうこともあるかもしれません。
「自分はダメだ」と思ったり、落ち込んだり、頑張りたいけど頑張れないときも人にはあります。
そんなときこそ、自己受容の出番です。
「こんな自分はダメだって思うんだね」、「頑張りたいけど頑張れないんだね。そういうときもあるよね」と、そう思う自分とその時に感じている感情を感じ、野口嘉則さんの言葉を借りるなら“味わう”ことが大切になります。
そして、そのためには丈夫な「心の器」が必要になってきます。